ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル

【プロフィール】

ドイツ・ハンブルグ生まれ。1805年ー1847年 42歳没。

裕福で恵まれた家庭環境のもと、超一流の家庭教師から色々な学問を学び、ピアノにおいても作曲においても天才少女ぶりを発揮した。

13歳の時バッハの平均律を全曲暗譜で弾き、15歳でスコットの詩による「アヴェ・マリア」を作曲している。

シューベルトが同じ詩をもとに、あの有名な「アヴェ・マリア」を作曲をする5年も前のことである。

有り余る才能がありながら、女性というだけで著名な弟(フェリックス・メンデルスゾーン)や父から長い間出版を拒まれ続けた。自分の作曲した曲がほとんど弟の名前で出版されてしまった、この頃の彼女の曲からは、認められない悔しさ、焦燥感、怒り、諦観などが伝わってくる。

同世代のジョルジュ・サンド(1804年生まれ)は男装をして活躍する中、ファニーは育ちの良さや長女という立場から逃れられなかった。

そんな彼女も24歳の時、画家ウィルヘルム・ヘンゼルと結婚する。

親から反対された結婚であったが、彼女は自分の意思を貫き、結婚の翌年には男児(セバスチャン・ルードヴィヒ・ヘンゼル)が生まれた。大作曲家(ヨハン・セバスティアン・バッハとヴァン・ルードヴィヒ・ベートーヴェン)の名前をつけられたこの息子は画家にも音楽家にもならなかったが、後にメンデルスゾーン家の書簡をまとめて出版をし、音楽史の研究に多大な貢献をしている。

ファニーは結婚後、夫の協力のもと自身の作曲した曲を出版し、イタリア旅行に行くなど自由を謳歌したようである。

弟が活躍して忙しくなった代わりに、自宅の日曜音楽会を主宰し、多忙をきわめた。

彼女は死ぬ前日に歌曲「山の喜び」を作曲し、そこには「歌は天に昇っていく」という歌詞が残されていた。その翌日、彼女自身が脳溢血で急逝。さらに半年後には、弟も後を追うように同じ病でこの世を去った。